売上高11億円 負債15億円 従業員数100名
一般雑貨の製造販売業者。20年前の工場新設後、順調に売上は伸びたものの、当時から過大投資は否めませんでした。それでも随分と借入金が減少した折に、大震災が起きました。
震源地から遠く離れていたので、工場の被害はなかったのですが、道路網の寸断により、配送が滞り、顧客であるスーパーは、やむなく仕入れを他社製品へと切り替えました。3か月ほど経ち、徐々に荷物が動きだしましたが、いったん他社に取られてしまった棚割を取り戻すことは、容易ではありません。さらには円高と消費税アップに伴う個人消費の低迷に、原材料と燃料費の高騰が響き、ズルズルと赤字を垂れ流す状態が5年間も続いてしまいました。
そこで、メイン銀行では、震災機構への債権売却を計画しましたが、機構は震災以前の債権しか購入できません。当社では震災以前の設備資金はそれなりのペースで返済が進んでおり、震災後の赤字運転資金として融資を受けた資金が、融資金の過半を占めていました。そこで、メイン銀行も判断を下せないうちに、利払いもできない状態にまで陥りました。
一時は、経営破たんも社長の脳裏をよぎりましたが、思い切った商品構成・取引先の変更を行い、最後まで躊躇していた大規模リストラも実施し、難局を乗り切りました。ようやく営業段階でも黒字となって、延滞利息も一掃しました。そこで、既に後継者として入社していた長男と、事業承継について真剣に議論しました。
しかし、子息は現状の負債を抱えたまま事業を引き継いでも、今後の設備更新を考えると、継続は困難だと主張し、大学卒業後に入社した企業(東証一部上場)に戻ることを希望しました。残念に思った社長は、かねて懇意としていた弁護士に相談しました。
事業再生の経験が長い弁護士から、企業再生ファンドにいったん会社を売却し、事業・負債を立て直した上で、再スタートを切ったらどうかというアドバイスを受けました。
弁護士の紹介した企業再生ファンドは、企業価値を認め、前向きに取り組もうと、財務等の調査と事業計画策定をジーケーパートナーズに依頼しました。ここで、弁護士・企業再生ファンド・我々コンサルタントがチームを組み、様々な観点から当該企業の再生についての検討を重ねました。その結果、ファンドが投資を決定し、各行へ債権を譲ってもらうよう弁護士も交え交渉しました。
価格面で多少の議論はあったものの、メイン行はすぐに協力してくれました。印象的だったのは準メイン行で、相談に伺ったところ、「こういう話を待っていました」と言われました。金融機関が、自ら借入負担を軽減してあげましょうとは言い難いものですが、このままでは、事業継続が困難であることは、誰が見ても明らかだったからです。事業が上向きの今こそ、抜本的な解決策を図るべきだと言ってもらいました。
結果として、借入額は4割にまで減少し、隣県の金融機関からの借入で、ファンドからの融資も完済できました。法人格は新会社に移行したので、取引先へ説明する必要がありましたが、負債が明らかに減少する計画書を提出したことで、信用力は以前より数段増しました。また、前社長が個人破産することもなく、取締役でこそありませんが、今も会長として対外活動にいそしんでいます。
後日談です。この企業再生ファンドは、会社の株式と債権を持ち、また、取締役も派遣しました。全てが終了した後に、前社長に、企業再生ファンドに買収されてしまうとの不安がなかったか、尋ねたことがあります。社長はこう述べられました。「あのまま座していても、いずれ事業が立ち行かなくなることは自分でもわかっていた。震災の影響が大きいとはいえ、自分の作った借金だから、息子には引き継がせたくなかった。それなら、みんなを信じて、このスキームに乗らない手はないなと思った。まさか、命まで取られることはないだろう、と。だから、心配しなかった」